ご覧下さりありがとうございます。
私は5〜6歳のころのある日、父に「スチュワーデスになりなさい」と言われて以来、「将来スチュワーデスになるんだ」と思い込んで過ごしてきました。
新卒の就活ではCAになかなかご縁がなく、最初に合格をもらった青い会社のグランドスタッフの道へ。
それから8年グランドスタッフとして働き、辛いことも楽しいことも、やりがいも、そして限界も感じてきました。
紆余曲折を経て現在はフリーランスとして過ごしています。
ここではIntroductionとして2つの事をお話しさせてください。
- 私の経歴
- ブログを立ち上げた経緯
私の経歴
大学時代
外国語学部で英語じゃない言語を専攻していました。
3年時には、並行してECCのエアラインスクールに半年通学。英語は嫌いじゃないけど得意でもないといった感じ。
サークルにも入らず、学校とバイトの往復ばかり。
国内大手の航空会社にグランドスタッフとして新卒入社
羽田空港の国内線チーム配属。覚えることいっぱいで大変だったけど、同期もたくさんいて忙しくも楽しい生活。3年目にはコントローラ資格を取ってスーパーバイザーも経験。やりがいがあって大好きだった。お休みはEFやIDZED使って旅行へ。
グランドハンドリング会社へ転職
最初は派遣として2年半、そのまま正社員採用されて計5年勤務。ここでは海外のレガシーキャリアとLCCも含め、3キャリアのハンドリングを担当。LCCのハンドリングは人員足りなすぎ、外資のレガシーはDLY頻発で忙しい日々。スーパーバイザー、インチャージとして、文字通り毎日空港内を奔走。始発出社→終電帰りはひと月に10日、帰れなくてホテル宿泊は3日/月と激務。
人生の夏休みでワーホリへ
もう休みたい…きれいなものを見て静かに過ごしたい…と、オーストラリアの海沿いの街へ逃避。
誰も友達がいないのと、自分の英語力の低さに落ち込む日々。語学学校で猛勉強して、ネットでランゲージエクスチェンジメイトを探して…と生活に馴染むのに必死。
生活に慣れたころ、バイトの身分であることに不安の念が生まれる。かといって現地で仕事をゲットできるスキルなんてないし…と危機を感じ、帰国を決意。
英語教育関連の会社へ転職
まだコロナが流行る前だったけど、違うスキルがほしくて英語コーチングスクールへ入社。根拠やロジックを示して生徒さんの英語学習をモチベートするのがお仕事。
ビジネスマン相手の接客なら…
と高を括っていたけど、お金と時間を投資して英語を勉強しにくる方の中にはとてつもなくシビアな方も…
メンタルを病んだことをきっかけに3年で退職を決意。
そしてWEBデザインを勉強し、現在フリーでお仕事をしています。
ブログを立ち上げた経緯
グランドスタッフに関する情報をまとめて人生やキャリアに悩む人のお役に立ちたいと思ったからです。
①グランドスタッフになりたいと思っていた学生時代
②現役のグランドスタッフスタッフだった時
③グランドスタッフ辞めたあと
仕事のこと人生のことetc…
振り返ってみて思うのです。それぞれのフェーズで悩みを持っていたけど、誰に相談したらいいのかなとか、これは同期には言えないなとか、この先どうすればいいのかなとか…
それが今なら「こうするな〜」と言えることが増えてきて、それをシェアしていきたいと思いました。
ところでCAは現役辞めても”元CA”の肩書が効いていると思いませんか。笑
私は新卒でCA落ちましたが、結果GSでよかったと思っています。(強がりじゃないよ笑)
その理由は、自分が旅行するときに役立つことを沢山知れたから。
チケットの種類、買い方、チェックインの方法、マイルのこと、乗り遅れそうな時、DLY/CNLになった時…
こういうのって機内で問い合わせがあってもCAさん、だいたい丸投げしてきませんか?
でも退職して自分で旅行するようになって、そういうの知ってて良かったとますます感じます。
グランドスタッフという職業にもっと誇りを持てるように。もっと自分を愛せるように。
「あのときこんな情報ほしかった!」と私が思うことを記事にしていきますので、お気軽にコメントください^^
ブログのタイトル ” ITINERARY ” とグランドスタッフは、切っても切れない関係。このブログを読んでくれる方の人生のItinerary(旅程表)がよりよいものになりますように!
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